新しい日記

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デザイン論

この記事は、社内向けに書いたけど、収まりきらなかったので、ブログに載せられるように編集を加えた、私なりのデザイン論についての記事です。

はじめに、私とデザインの関わり

アシスタントエンジニアがなぜこんな話を?と思われるかもしれないのではじめに。
私は大学ではデザイン学科に属しており、また同大学の大学院に進学したためという計6年間のデザイン教育のバックグラウンドがあります。
デザイナーになるつもりで就活をしていましたが、色々あってエンジニアになりました。 今仕事でやっていることはコーディングですが、デザイナーの視点を持って仕事に取り組むように心がけています。(まだまだ未熟ですが)

デザインとは何か

私の考え

先に、私の考えを共有します。 今、私はデザインとは 「統合」 だと考えています。 この単語(または類義語)は近代デザインの歴史を追うにあたり、いくつかの代表的な宣言・定義でも使われており、的を外してはいない観念ではないかと考えています。 いくつか紹介します。

バウハウスの創立宣言

「すべての造形活動の最終目標は建築である!」

これは、バウハウス創立宣言の冒頭文です。 バウハウス初代校長であるグロピウスは、近代化の中でそれぞれ孤立した芸術活動を再び結集し、諸芸術の総合を再建することを理想として掲げました。

トーマス・マルドナードによるインダストリアルデザインの定義

「インダストリアルデザインとは、工業製品の形の質を決定することを究極の目標とするひとつの活動である。ここで形の質というのは、外面的な特徴を指すのではなく、ひとつのモノを生産者並びにユーザから見て、首尾一貫性のある統一体に変えるような、構造的、機能的諸関係のことをいうのである。単なる外面的な特徴というものは、しばしばモノをうわべだけいっそう魅力的にしようとしたり、あるいは、構造上の欠陥を偽り隠そうとする意図の結果であるにすぎず、したがってそれは、モノと共に生まれ、モノと共に成長した現実をあらわすのではなく、偶然的な現実をあらわすにすぎない。これに反して、ここでいうモノの形の質というのは、常になんらかの仕方で形態形成のプロセスに関与する諸要素、つまり機能的、文化的、技術的、経済的諸要素の調整及び統合の結果である。形の質は、内部の組織に対応する現実、つまりモノの共に成長した現実を形作ることなのである。」

デザインすること、デザイナーとは

上述の例などから、私はデザインすることとは 「機能や構造、形態などの統合を設計すること」 であり、デザイナーとはそれを目的としてアウトプットする人のことだと考えています。 それはどんな領域においてもです。 というか、このような統合設計行為のアウトプットが Sketch ファイルだろうが、印刷物だろうが、コードだろうが、物体だろうが、空間だろうが、組織だろうが、なんだろうが(そして優れていれば)、その人は 立派なデザイナーであると私は評価したいと考えます。 そして最初のに帰結しますが、デザイナーが目的としている行動こそがデザイン、つまり 「統合」 だと考えます。

デザイナーと共に働く人々、相互理解

ここからは一旦概念的な話から離れます。

デザイナーのルーツ

ものつくりの中心が手工芸だった時代では、考案する人と作る人が同じであるということが一般的でしたが、産業革命以降では、工業製品の生産は労働者と製品の造形家(プロドゥクトゲシュタルター・今でいうインダストリアルデザイナー)に分業されるようになりました。 これは、ドイツ工作連盟創立当初に建築家のフリッツ・シューマッハが指摘したことですが、現状の Web /アプリデザインでも同じですね。 現代におけるデザイナーのルーツは、ここからでしょう。

皆さんにとっては当たり前だと思いますが、この分業体制においては、それぞれの領域の相互理解、コミュニケーションが非常に重要です。

分業体制を作曲家・演奏家で例えると

かなり噛み砕いた分業体制の例として、作曲家、演奏家の関係を挙げます。 もちろん作曲と演奏を一人でこなす人もいますが、それぞれを別の人が担当するのはごく一般的なことです。

作曲家は上手に演奏できなくてもいいですが、演奏のことを理解した上で楽曲を設計し、楽譜に落とし込むことを求められます。 演奏家は素晴らしい作曲はできなくてもいいですが、楽譜から作曲家の意図を存分に拾い、美しい音色を奏でることを求められます。

例えば、あなたが作曲家だとして、ピアノ作曲の依頼をされたとします。 このとき、もしあなたがピアノという楽器のことや、演奏家がどのように演奏するのかを知らずに作曲はできますでしょうか? ピアノのことをわからずに、演奏者に無理を強いるかもしれない曲を書くことがプロの仕事だと言えますでしょうか?

例えば、あなたが演奏家だとして、ピアノ演奏の依頼をされたとします。 このとき、もしあなたが楽譜をほとんど読めないとしたら、どのように演奏しますか? とりあえずわかる部分だけ弾いて、あとは適当にごまかしておくとしたら、聴衆にその曲は魅力的に伝わるのでしょうか?

勘のいい人はこの例え話を我々の実務に置き換えて想像できると思います。

仕事をする上で、至らない部分があるのは当たり前です。その都度、お互いの足りない部分、間違っている部分を指摘、補い合うことで、統合を作り上げるような関係が、大切なのではないでしょうか。そして、そのようなことができるチームが理想ではないでしょうか。

結論

工業生産が一般化して以来、仕事が分業体制になったため生まれたデザイナーという職業は、機能や構造、形態を統合する力を必要とする。 そのため、デザインとは統合だと私は考える。 実務上、デザイナーは統合を目的としたアウトプットをするというロールを担うが、そのためにはお互いの領域について理解し合い、補い合う関係が理想となる。

思い

7月から転職して新しい会社に入ったんですが、そこにはデザインが好きな人がたくさんいて、デザインの価値を上げることを目的にも掲げていると聞いて入社しました。 だから社内の皆さんもきっとそれぞれ「デザインとは」という問いに対しての答えを持っているんだろうと思います。このような記事を書いたのは、社内の人がどう思っているのかもっと知りたいからで。

そしてもちろん、デザインを掲げた会社であるならそれなりにもその答えがあるのだと思います。もし会社としての考えと私の考えに一致する部分があれば、「機能や構造、形態を統合する力」を持った優れたメンバーが評価されていればいいなと思います。どうなんでしょう?もしそうじゃなかったら悲しいな。